最新作『ザ・プレデター』が打破してくれる!と願いを込めて!AVP以降のコレジャナイ、プレデター
SFホラー界を代表するクリーチャーであるプレデター。1作目が1987年に公開。甲殻類と爬虫類を掛け合わせた様なグロテスクな容貌とは裏腹に地球を遥かに凌駕する科学技術を扱い、また闘いが言語ともいう独特な文化様式を持つという設定の深みが面白いキャラクターとしての魅力と、人間を狩りの獲物として捉え容赦なく惨殺していくクリーチャーとしての畏怖の魅力が合わさった他にはない強力な個性がこのプレデターの特徴で、この当時の人類最強シュワルツェネッガーとジャングルで死闘を繰り広げた勇姿が多くの人の心を掴んだ。
さらに続く続編『プレデター2』が1990年に公開されるが残念ながらシュワルツェネッガーが降りてしまいゴリゴリマッチョが死闘を演じた前作よりもパワーダウンかと思われたが市街戦に趣を変え、プレデターのキャラクターとしての魅力をより拡大した好編として仕上がった。前作では宇宙からジャングルへやってきた異形の狩人という以上のキャラクター性はなく習性など詳細な設定が詰められたのはこの2作目から。既にこの作品でSFホラー界のクリーチャー二大巨塔として相対するエイリアンとの関係性もラストに示唆されている。あくまでこの時はネタ的なものであるが。
そしてそこから少しブランクが空き2004年に【嘘から出た誠】的なエイリアンとの対決企画『エイリアンVSプレデター』が公開。ここでプレデターユニバースは新たな局面を迎えることになる。しばらくの間映画シリーズは休眠状態ではあったもののその人気の高さからコミックシリーズなどが展開していた為、この辺でプレデターというキャラクターの捉え方が変遷していたのかもしれないのだが自分は未見なのでなんとも言えない。
あくまで映画シリーズだけに絞った話をするけど、どうにもこの『エイリアンVSプレデター』(以下、略称AVP)以降のプレデターは俺が思うプレデターとはなんかコレジャナイ感が漂ってしまうのだ。最新作『ザ・プレデター』ではそれを打破してくれると信じて!俺が思う俺が観たいプレデターとはなんぞや?!そもそものプレデターのキャラクター性とそしてAVP以降のプレデターを検証してそれを浮き彫りにしていきたいと思います。
そもそもプレデターとは何者か?
宇宙の様々な惑星を渡り歩き、その惑星に生息する特に攻撃力(兵器力)に富み危険性の高い動物を狩猟することを主要かつ重要な民族的文化としている人型知的生命体。(Wikipediaより抜粋。)
相対するエイリアンは獰猛な性質であり、生態系そのものが人類にとって脅威であり感情移入する余地のない純然たるクリーチャーですが、プレデターは高い知力を有し独自の文化があり無闇やたらと殺傷を行う訳ではなくそこには彼らなりのルールや美学があるのです。そこはかとなく人格というものを感じさせもするからエイリアンよりは感情移入する余地があるんですよね。クリーチャーとキャラクターの特性を併せ持つのがプレデターの最大の特徴だと言えます。
しかしこのクリーチャーとしての畏怖、キャラクターとしての個性を併せ持つ反面、このバランスの取り方ひとつで魅力の良し悪しが変わってしまうので扱いが大変難しい。個人個人によるイメージの違いもあるでしょうし。
少なくとも自分の思うプレデターは、あまりキャラクターとしての個性の方に比重を傾け過ぎて欲しくないのがあります。あくまでもプレデターはクリーチャーであり感情移入できる個性の方を拡大してしまうとクリーチャーとしての畏怖が明らかに目減りする。多少はあってもいいしそこが魅力なんだけど、人格をあまり過剰に付加して欲しくないんですよね。
だから多くの人がプレデターに抱くイメージとして…女子供は殺さない、闘うにたる戦士と認めた相手には正々堂々と武装を捨てて闘うなど、そういう部分を「武士」だとか評するのには違和感があって。
それはちょっと人間的なイメージで捉え過ぎというか。そもそも他人の惑星に来て自分勝手に狩りを始める傍迷惑なヤツですよ?武士とか武士道って日本人である自分も詳しくはよく分からないけども、自己完結的な美学を持った生き様だと思うのね。少なくとも自分の快楽の為に多くを殺傷することは武士道とは言えないでしょう。
その辺のプレデターの行動理由はあくまでも彼ら独自のルールや様式に乗っ取られている訳で、そこに人間の思う感情的理由が当てはまるとは思えません。その手前勝手なルールを有無を言わさずに人間に押し付けて狩りに巻き込む訳ですし。彼らは闘いが言語です。命を掛けて互いに殺し合うという特殊で極限な状況での関係だからこそ互いに感じるシンパシー。その程度のことだと思うんです。そこに感情はないんですよね。
あくまでも殺し殺され合う関係が変わることはないんですよ。戦士として同じ心理へ陥ることで生まれる共感はあれどプレデターと人間が相入れることは決してないんです。それが自分の思うプレデターのキャラクター。でもそれが正しい解釈だという訳ではなく個人が好きなイメージを投影するのは構わないと思います。俺の見解ではこうだと言うことです。個人の解釈は自由なんですが、それを公式でやられてしまうと……こちらが想像する余地がある案配の設定に留めて欲しいんですよね。
『AVP』においてのプレデターはキャラクターとして比重を寄せ過ぎなんですよ。ちょっとヒロイックに描き過ぎている。先に述べたように決して人間と相入れる存在ではないのに今作では人間のヒロインと明らかに意思疎通を交わしエイリアンを倒す為に共闘しちゃうんですよ。
先に述べた俺の思うプレデター像からすると「それはない!!」となる訳です。これは監督のポール・WS・アンダーソンがプレデターをこう捉えているということなんでしょうね。映画のみならずコミックからの引用なども散りばめてるようなのでコミックで描写されるプレデターはヒロイックな感じなんでしょうか。
いや何にしてもプレデターの素顔ってコレなんですから。少なくとも絶対仲良くなれないタイプの顔として造形されてる訳ですよね?だからコイツをヒロイックなカッコよさで見せようとすんのがおかしいんだって。基本的に悪役として描写されるべきです。
決して人間に肩入れするのではなくて、あくまでもエイリアンを共通の敵として状況的に結果的に人間を助ける形になったってしまったっていう程度に留めて欲しかったですね。終盤のヒロインと一緒にリフトに乗って脱出する画ヅラのダサさとかラスト付近は本当に萎えてしまう展開でなんともスッキリしない映画でした。
プレデターがなぜエイリアンと戦うのか?って辺りの設定は中々よく考えられていたと思います。プレデターが一人前の戦士として成人する為の儀式としてエイリアン狩りをすると。(地球でやるなよ!って思うけど。)不満点としては、そうなると前作までの人間を狩りにきたプレデターは半人前のプレデターだったなどという設定へ貶めてしまうところですね。まあ最新作のプレデターが一番強いって前作との差別化したいのは分かるけど、でもその為に前作を下げるこたぁねえだろと思うんですよ。これは後述する『プレデターズ』にも言えることなんですけど。
その点2007年公開の続編『AVP2』のプレデターは良かったんですよね。クリーチャーとしての魅力全開で。人間もエイリアンも構わずに惨殺しまくり感情移入する余地など微塵もない。プレデターとエイリアンが死闘を繰り広げる中に人間が巻き込まれていって死屍累々と惨状が広がっていくめっちゃスラッシュホラー然とした作風もより観たかったテイストに仕上がってて。他所でやれや!っていうクリーチャーどもの傍迷惑さも最高潮w
主役のウルフ・プレデターや、エイリアンとのハーフのプレデタリアン!(パチモンみたいな名前だがw)の造型も素晴らしいですしね。んで基本的にプレデターは街中に放たれてしまったエイリアンを駆除して事態を収拾するのが任務なので人間に見向きもしないし攻撃を受けたり邪魔であれば殺す感じなんだけど死闘の末、結果的になんだかんだ人間を助けてしまっているって辺りのバランスもいいんですよね。人間との距離感というか。『AVP』以降の展開されたシリーズの中では一番好きなんですよねコレが。でも評価あんまり高くないんですよ。それは映画として大きな問題が実はあって…
とにかく画面が暗くて何をやってるんだか全く見えないということ!!最高のキャラ造型も詳細が全然分からない!!コレもう脚本とか演出とかそれ以前の問題でしょw当時劇場で観たら本当にちっとも画面が見えなかった!!コレはホラー映画としての作風を追求する為に現場で中古のカメラを使ったんだとかポスプロで更に暗く調整したとか言われてるんだけども、本当に冗談じゃなく見えなかったんだよね…w見えないぐらいに暗くしてどうすんだよ!!
ただ今現在Blu-rayでそこそこのモニターで観る限りにはそこまで観難くはないです。暗くて見えなかったのは公開当時の劇場設備の関係もあるかなと。自宅のTVであればゲインも調整出来ますし。当時劇場で暗くて見えなかったって人、評価の低さから手を出してなかった人、最新作公開の前に観てみてはいかがでしょうか。
そして…『プレデターズ』
そして正式なナンバリングタイトルとしては20年ぶりとなる3作目『プレデターズ』が2010年公開。続編というよりは1作目を踏襲した内容のリブートに近い。だが舞台は地球外の惑星となりタイトル通りにプレデターが複数登場する。元々は1995年頃にプレデター3として製作ロバート・ロドリゲスが書いた脚本が元となっており1作目を踏襲したジャングル戦だが別の惑星が舞台、複数のプレデターの登場はその時から盛り込まれていたそう。
この作品で描かれるプレデター像自体は俺の思うそれとはブレてはいないんだけども…いやもうね、そんなプレデター云々どころじゃない問題点というか大きな欠点がこの映画には存在しとる訳ですよ。
それは……プレデター人間双方ともにまったくもって魅力あるキャラクター描写が出来ていないこと!!基本的には1作目と同じでジャングルで人間とプレデターが闘うってだけの話なので非常にシンプルなプロットなんですよ。シンプルなプロットで映画の面白さを追求する為には登場人物たちを如何に魅力的に描くかが肝だと思います。主人公は何故闘うのか?主人公は何に怒っているのか?脅えているのか?キャラクターのフィジカルな面をきちんと描くことでアクションにも感情が入りエモーショナルになるんですよ。
『プレデターズ』ではそれが出来ていない。それがきちんと出来ていた1作目を踏襲しているからこそ、よりその不出来な面が浮き彫りになってしまっているんです。具体的なキャラクターをあげて説明しましょう。
まずは『プレデター』からコマンドー部隊の一員ビリー。ネイティブ・アメリカンの一族の末裔で鋭き第六感的感覚を有していた彼は隊員の中で誰よりも早くプレデターの気配を察知する。
それ故に彼は誰よりもプレデターの存在に恐怖を覚えていたのだが、次々に仲間がやられ部隊が追い詰められる終盤では彼は己の中の恐怖を振り払わんとするように残る仲間の前に身を挺し退路を確保する為にプレデターに一騎討ちを挑む。
そのシーンごとの人物の行動理由や心情を観ていて確かに感じ取れる。または想像にたり得る。これがキャラクターがうまく描けているということですよね。この時のビリーが一人立ち向かう悲壮な想いが観ているこちらにも理解出来るからこそ感情移入もするしシーンが盛り上がる。
その他の隊員の一人一人も個性豊かに愛着の持てるキャラクターとして描かれています。この映画の中で確かに息づいている彼らが無残に殺されていくその慟哭が響くからこそ、また最後に残されたダッチシェイファー少佐とプレデターの死闘が盛り上がるのですよ。
このキャラクター描写の確かさは『ダイ・ハード』においてもテロリストの末端の一人に至るまで確かな個性を与えたジョン・マクティアナン監督の鮮やかな手腕あればこそですね。
これが『プレデター』が只のB級ではなく名作たらしめる所以ですね。では、それに対して『プレデターズ』の方はというと………
ビリーと同じくプレデターに一騎打ちを挑むキャラクターとして『プレデターズ』では日本人ヤクザのハンゾーが登場します。だがその想いを見て取れたビリーとは違い、このハンゾーはなんでそんな行動を取ったのかその心情がよく分からないんですよね。
そもそもこのハンゾーというキャラクター、登場してから暫く口を開かず初めて言葉を発した時には「英語が喋れたのか!」って周りに驚かれるシーンがあるんですが、それまで彼が口を噤んでいた理由も釈然としないし。日本人だから寡黙?英語が不得意?ってイメージが与えられてるとしたらステレオタイプで薄っぺらい。
それでいても口数の少ないキャラクターで性格もよく分からないのに突如ビリーと同じ行動に出られたところで唐突すぎるし全然シーンとして盛り上がらないんですよね。『プレデター』では同じ釜の飯を食った部隊の仲間の絆があったけど『プレデターズ』の面々はそれぞれ人種も職種も様々に寄せ集められた奴らだった為に元から仲間意識も高くないし。
武士と擬えられるプレデターと刀でチャンバラやったら面白いだろうという画ヅラありきで作られてるシーンだと思うんですが、刀を扱うから日本人ってキャラクターに設定されたのならちょっとおざなり過ぎやしませんか。ただ脚本に動かされているようにしか思えなくて興ざめしちゃうんですよ。
このシーンを印象的なものするにはそこへ至るまでのキャラクターの描写は不可欠なんだよ!と声を大にして言いたい。そこは同じ行動を取らせるならばビリーのキャラクターを踏襲してもいいのだ。だがプレデターの気配にいち早く気づくという役割は他のキャラに振り当てられている。
しかし早々に死んでしまうので、何それ?!いち早く気づくってキャラ付け意味ねえじゃねえか!!
ダニー・トレホもすぐ死ぬ。ダニー・トレホなのに。しかも何故死んだのかさえよく分からない…無駄遣い過ぎるだろ。
一匹狼気取っていざとなるとプレデターには逃げ腰のエイドリアン・ブロディもなんだかなあ。エイドリアン・ブロディっぽいっちゃあっぽいキャラクターなんだけども。ムキムキで頑張ってはいるんだが…最後の最後だけダッチシェイファー気取られてもヨォ……
プレデターから隠れてジャングルに長年潜んでいるはずなのにデップリ太ったローレンス・フィッシュバーンとかヨォ…もう文句しか出てこんわい!!誰一人として愛着の持てるキャラクターが出てこんのですよ『プレデターズ』では。
あ!アリシー・ブラガだけは好きっス!!ただ好みなだけですけど。
キャラクターに魅力がないのに人間側のドラマに話が終始しがちでプレデターとのバトル自体は少なめなのもどうにも…人間同士のイザコザやら実は本性隠してましたみたいなそんな展開見たい訳じゃないわい…ちゃんと闘ってくれよ!!
そして肝心のプレデターはというと…
今作のプレデターはこれまでのプレデターを遥かに凌駕する強さを誇る種族【スーパー・プレデター】という設定になっています。
うん、いいんですよ。これまでのシリーズの中でもこの最新作のプレデターが一番強いんだとそういう位置付けにすること自体は。でもその強さを印象づける為のかませ犬扱いに過去作のプレデターを引っ張りだすこたあないよなあ。
スーパー・プレデターたちの野営地に1作目のジャングルハンターを模したプレデターが磔にされとる訳ですよ。だからこれまでのプレデターよりも強い!ってのは分かったからこう過去作を無駄に貶めるような真似をすんなって!!
これだけでムカッとくる描写なんだけど、それで実際スーパー・プレデターが強ければまあ納得できるんだけど弱いんですよスーパー・プレデター…何がスーパー・プレデターじゃ!!それぞれの個性もイマイチで魅力もないしなあ……
まずはトラッカー・プレデター。猟犬を従え、小手調べに人間に猟犬を放ってくるという設定のプレデターです。
この設定がプレデターを武士と擬えるような人には評判が良くないようです。「卑怯である」と。いやいや卑怯もクソも…だから人間的な観点で考えちゃいけません。もともと自分勝手に狩りを仕掛けてくる奴らです。
それにジャングルハンターとか過去作のプレデターは最初、クローキングデバイス(光学迷彩装置)を使って姿を見せずに闇討ちのように襲ってくる訳ですよ?これは卑怯ではないのか?闘うに値する相手を見定める為という最もらしい理由はあるんですけどね。
卑怯もクソもない。コレが彼らの狩りのスタイル。猟犬というのも基本的な狩りのスタイルですよね。自分としてはそこに不満はないんですけど…でも多くの人がプレデターに抱くイメージを裏切る、でもその裏切った以上の魅力がないという点で魅力的にプレデターのキャラクターを描くことには失敗してるんですよね。
かつてのプレデターは小手調べに姿を隠してと言えども己の身ひとつで襲いくるのに対して犬をけしかけてくるってショボく思えます。それまでにない個性を描写したかったんでしょうが過去作のプレデターよりも強いっていうキャラクターには合致していないんじゃないかと思います。
続いてファルコナー・プレデター。鷹匠の意を取るその名前の如くタカ型のドローンを駆使するプレデターである…………以上。現代的な付加価値で面白いとは思うんだけどそれ以上の個性はない。ドローン飛ばすだけって…一応ヤクザとのチャンバラという見せ場はあるのだが…あとこのスーパー・プレデターたちプレデターにはお馴染みの網状のスーツを着てなくてつんつるてんなのもショボく見えるんですよね…着てないことが強さのアドバンテージという訳でもなくて単に魅力減ってだけなんですよね。身体が妙にヒョロい作りなのもある。
そして真打!リーダー格のバーサーカー・プレデター!!三人の中で一番強い!!っていうのが個性……のはずなんだけどスーパー・プレデターたち全然強く見えねえからそもそも…旧プレデターの首を斬り飛ばしたりという見せ場はあるけどその後にエイドリアン・ブロディに一方的にボコボコに殴られたりするので結局、弱い…なんなんだよ!!
そしてバーサーカーだけが唯一見せるマスクの下の素顔が…………プレデターをカッコいいとは言わないんだけどその造型の魅力をすべて削ぎ落としたかのようなこのデザイン……なんかパチモンのモンスターみたいだし本当に魅力がないわぁ〜……
それまでのプレデターを凌駕する究極のプレデターというキャラ付けならそれを徹底してくれ!!圧倒的な強さを見せつけてくれ!!自分たちで設定したキャラクターをなんでちゃんと具現化できないんだよ!!!もうね…『プレデターズ』に関しては俺が思うプレデターとかいう以前の問題で、より純粋に映画の作りとしてダメという正直1と2に続くナンバリングタイトルとしては認めたくないなあという微妙過ぎる一作です。
ハッ……!!
気づいたらほぼ大半が『プレデターズ』への文句ばっかりで埋め尽くされている…!!
まあでもねえ、それぐらいに複雑な想いを抱かされた作品だったんですよね『プレデターズ』って。散々貶してますがつまらない作品って訳ではないのでコレも最新作公開前に一見を。
最後に………
さて!だいぶ話は偏りましたが……遂に公開される最新作『ザ・プレデター』先述した様々な不満をこの最新作が払拭してくれることを信じて!!俺の観たいプレデターを魅せてくれると信じて!!
監督は1作目で過激な下ネタジョークを飛ばしまくっていたシェーン・ブラック!!本来のプレデターを知る彼が、80〜90年代のハリウッド映画イズムを継承する彼が必ずややってくれるはずだと信じて!!公開を心待ちにしたいと思います!!
『ザ・プレデター』9/14(金)公開です!!心待ちにせよ!!