UNCE UPON A TIME IN TAIMA

映画をネタ的切り口で適当に書くブログ。更新滞り気味。

『ミッション:インポッシブル2』は決してシリーズの鬼子ではない!!最新作フォールアウトを受けて。

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トム・クルーズの徹底したエンターテイナーっぷりと才能ある監督陣の起用で007と肩を並べられる、ハリウッドのアクション映画史を更新し続ける一大シリーズまで成長したミッション:インポッシブルシリーズ。現在最新作フォールアウトが公開中、評価興収ともに好調でシリーズの勢いやとどまること知らずだ。しかし悲しいかな一部のファンにはシリーズの中で2だけが異端児扱いされてしまっている。確かにこれだけ作風が浮いているのだがそれも今作に登板した監督ジョン・ウーが世界観をブチ壊したのだとまるで“戦犯”のような扱いだ。

 

私はそれに異を唱える。2が製作された当時のこのシリーズの流れではこういう内容になることは必然だったのだ。それは1作目から製作も兼ねたトムの意向でもあったしそれを実現するべく尽力したジョン・ウーはあくまでも“戦犯”ではなくトムとの“共犯者”という方が正しい。本記事ではそれを詳しく解説していきます。

 

 

スパイ大作戦”からの逸脱

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この作品が批判される一番大きな点。前作の作風と打って変わりトムの一大スーパーアクションで構成される本作はさながら“トム・クルーズ版007”ともいうべき様相となっている。最初から最後までトムの1人舞台だ。それをオリジナルであるスパイ大作戦の世界観から逸脱してしまったといえば確かにそうなのだが、それはこの2だけの問題ではない。原典からの逸脱をやらかしているのは前作もそうなのだ。

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1作目がスパイ大作戦の世界観をきちんと踏襲しているのは冒頭、オープニングタイトルから序盤という僅かな部分のみだ。あろうことか、このオリジナルのドラマの構図を模したチームメンバーが作戦の失敗によって全滅するという衝撃の展開にて今作の物語は幕を開ける。正統なリメイクとして作られた1作目で普通はこういうプロットにしないだろう。

 

スパイ大作戦のリメイクでありながら、この作品はトム・クルーズの主演作でもあるという側面がある。とりあえずドラマ版への体裁を最低限だけ整えチームの全滅を経てこの映画はトム・クルーズ演じるイーサン・ハントの1人舞台と化す、そういう構成だ。一応イーサンがチームを急造するがあくまでもイーサンの引き立て役でしかない。徹頭徹尾活躍するのもイーサン、事件もイーサンひとりで決着をつけてしまう。

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そしてよりにもよって今作での事件の黒幕はドラマ版のリーダーであったジム・フェルプスに設定されている。

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今作にきちんとオリジナルへのリスペクトがあったのならば、やはり普通こういう設定にしないだろう。意外性があるといえば意外性はあるがオールドファンからすれば噴飯ものの改悪だろう。実際ドラマ版のキャストはこの作品に対して良い印象を持たなかったようだ。

 

更に言えば映画版の新たな主人公として出てきたイーサン・ハントがドラマ版の主人公を葬り去って、改めてこの新世スパイ大作戦の主役の座を捥ぎ取るという結末でもある。だから普通こういうプロットにしないよね?っていう。

 

結局はこの作品、スパイ物の映像作品としては007に匹敵する知名度を持っているスパイ大作戦を引き合いにしてトム・クルーズが演じるスーパースパイ“イーサン・ハント”を誕生させる為の映画だったと思うのだ。

 

だからこの1作目の構成を考えれば続編にてイーサン・ハントことトム・クルーズの1人舞台感がより増した作風になることは必然だったのだ。いきなり2だけが作風を違えたのではない。1でしっかりと種が撒かれ2でそれが萌芽したのである。それが3でもって改めてスパイ大作戦の世界観にきっちりと立ち返ったもんだから、この2だけが浮いてしまったという訳だ。

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当初のトム・クルーズの構想では毎作監督を変え1作ごと全く違うスタイルでシリーズを製作していくはずだった。ジョン・ウーはトムから「オリジナルのドラマ版も前作も気にしなくていいから貴方のスタイルで撮って欲しい。」と言われオファーを受けている。このトムの発言からすればスパイ大作戦の世界観を守る気はさらさらなかったように思える。

 

トムにとっては念願の自身初の本格スーパーアクション大作!前作が結局は組織内の内ゲバだった殺伐とした作風はうっちゃって軽快なアクション&ロマンス!!が、やりたかったんですよね。そこで当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったアクションの詩人、ジョン・ウーを起用するというトムの目利きの高さは流石だとは思います。

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3でJ・J・エイブラムスが登板したからこそ今に続くフォールアウトまでスパイ大作戦の世界へ立ち返った一貫した設定がある程度統一されるようにはなりましたが、でもこのシリーズのスタート当初時点ではスパイ大作戦にしっかりと向き合ってはいなかったのだから続く2においてのこのシリーズらしさなんてトム自身も製作も把握していなかったのではないでしょうか。

 

とりあえず記号的に配される指令テープ、変装マスク、宙吊り、そしてトム以外では全作登板のチームメンバー、作品の魂であるルーサー・スティッケル(ヴィング・レイムス)。これらの要素だけでなんとかシリーズの連続性を維持した形になっています。

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ここまで読んで頂けたならばとりあえずジョン・ウーだけが一概に悪いという訳ではないことは理解してもらえたと思います。これはトム並びに製作の意向でもあったし必然の流れだったのだと。続く3から方向転換をしたせいで2だけが浮きシワ寄せを2がモロに被る形になってしまったとそういうことです。

 

そして今作でトムが命知らずなスタントを数々こなしたことがコレがきっちりとシリーズのお決まりとなっていきます。浮いているように見えて後々のシリーズへと与えた影響は少なくない。

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最新作フォールアウトはシリーズ全てを内包した集大成的な内容となっており2がシリーズの中でしっかりと息づいていることを表明してくれている描写もある。次に上げている画像はそれの一番分かりやすい部分。

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これで公式にも2はシリーズの要らん子ではないということが証明されている。さらにフォールアウトのアクションありきでゴリ押しの作風は2のバランスにも近い。1からこのシリーズの問題点であったスパイ大作戦トム・クルーズ主演作という兼ね合い。そのバランスの模索がこのシリーズを続けていく上での命題であっただろう。

 

2が突出したアクション大作となったのも、3にてちゃんとオリジナルの世界観と向き合ったのもシリーズが今に至るまでに必要な通過儀礼であった。だからまた改めて言わせてもらいたい、決して2はシリーズの鬼子ではないのだと。

 

製作側は元より2を否定していた訳ではないが3以降が一貫した世界観になっていたからこそ触れられなかった2を最新作で改めて再評価を与えてくれた。2の一部のファンの批判に対してモヤモヤした想いを抱えていた自分にとってはこれだけで感動してしまった。

 

という訳でミッション:インポッシブル2に批判的な、良い印象を持ってない人もフォールアウトを受けて改めてこの作品を再評価してみてほしい。フォールアウトを観る前でも後でも。貴方の中での2の立ち位置が変わるかもしれない。少なくとも本作もれっきとしたシリーズの一員なのだ。それだけ認めて頂きたいと筆者は強く願っているのであります。あとは好みの問題ですね。

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