UNCE UPON A TIME IN TAIMA

映画をネタ的切り口で適当に書くブログ。更新滞り気味。

『ザ・プレデター』ネタバレ全開で言いたいことだけ言うっ!!

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【注意!完全ネタバレの上で本編の話をします!】

さて。遂に観たぞ『ザ・プレデター』率直に感想を先に言ってしまうと、スッゲー面白かった!!!

個人的にプレデターに求めるモノ、自分が観たいと思うプレデターの要素が満載でこれ以上ないくらい大満足の作品だった。これまでのシリーズ(AVP以降)で溜まっていたフラストレーションを発散してくれた。

まあまずプレデターの残虐な暴れっぷりがいいよね。R-15で存分に。もう最初にマッケナがプレデターと遭遇するシーン。木に吊り下げられた死体の臓物から滴り落ちる血で鮮血に染まり浮き上がるプレデターの顔!

死体を足蹴にするようなシェーン・ブラックの相変わらずのブラックなユーモアといい、最初からこんな心をグッと掴まれる景気の良い画を見せてくれる映画が嫌いなわけが無い、大好きに決まってますよ。もうこの時点で傑作確定でしたから。

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だがしかし!世の評価では賛否分かれているらしい…な、何故だ?!こんなにも楽しいのに…!!正直、この映画を酷評する気持ちが分からないが…初見は自分も熱にほだされていたかもしれないから酷評されている面も含めてきちんと冷静に観なければなるまい!再度!!ということで2回目の鑑賞を済ましこの記事を書いています。

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んもう!やっぱり面白い!!

果たしてどこが酷評される部分なのか…と冷静に酷評する側の観点から映画を見極めようと頭の隅において鑑賞してみたが…ダメだ!冷静に観ようと思ってもどうしても面白い!が上回ってしまう!!

酷評される理由がやっぱり分からない!!

 

まあ誰もが賞賛する映画なんてあり得ませんよ、あり得ませんよ?自分以外の他人、一人一人が歩んできた人生はひとつとして同じものなどない。それぞれが思うこと感じることは全然違うものなんです。映画も然り。シーンひとつ取っても観る人によって抱く感情は全く違うんです。ちょっとした描写に感動する人もいれば逆に憤りを覚える人もいるかもしれない。誰もが他人も自分と同じ感情を抱くに違いないなんて、それは他人を軽視している証拠ですよ。他人の気持ちや感情を人生を。

 

だから自分が楽しんだからといって他人の酷評をおかしいと指摘したり否定するのなんて間違ったことですよ、それは。“酷評する気持ちが分からない”とは自分言いましたけどね、それはどう観たって自分にとっては面白いから、この映画。客観的な視点で観てみようとしてみても酷評する人が欠点と見ている点をそもそも自分は欠点として捉えられないかもしれない。それはその人だけのその人だからの視点であるから。

 

映画の解釈に絶対の正解なんてない。それぞれの答えがあっていい。それを何様のつもりで否定するのか。例え解釈を巡ってああでもないこうでもない舌戦を繰り広げるにしてもそれは気心の知れた相手との関係があってのコミュニケーションとしてですよ。見知らぬ相手に礼を失して自分の解釈、感情を押し付けるのなんてもっての他です。

 

はて、話が逸れました。

おそらく何度『ザ・プレデター』を観ても面白い!としか結論を導き出せない自分なりに、この映画が映画として至らぬ点について考えてみたいと思います。考察、批評なんて大層なものでもなく私的な検証程度のことですが。よろしければお付き合いください。

 

 

 

 

 

 

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まず賛否分かれる一番大きな点としては今作でのプレデターの新設定でしょうね。以前の記事でも書きましたがプレデタークリーチャーキャラクターと両方の特性を合わせ持っています。他のクリーチャーにはない唯一無二の強力な個性でありながら、しかしその分その魅力をどちらに傾けるかのバランスが非常に難しい。

 

今作での新たな設定プレデターに人格を大きく付加したものとなっています。この辺りに否を唱える方が多かったのかと。自分も個人的にはプレデターに人格を付加しすぎるのは嫌なんですよね。あくまでもクリーチャーとして描かれるべきだと。でも今作での描かれ方のバランスは決して嫌ではなかったんですよね。詳しく検証していきましょう。

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今作で登場するフジティブ・プレデターその“逃亡者”を冠する名前が現している通りフジティブ・プレデターが地球へ飛来する目的は従来の様な“人間狩り”の為ではありません。ただ戦いを求めるだけじゃなく様々な思惑がプレデター側にあることが今作での設定の大きな変更点ですね。

 

ではフジティブ・プレデターの目的とは何なのか?

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それはプレデターの主流派側による地球への移住計画の阻止。やがて地球が気候変動に見舞われ高温化に耐えきれず人類が絶滅するのを予期したプレデターは人類に代わり自分たちの生息環境に適した地球へ移り住むことを計画していました。

 

フジティブ・プレデターの飛来の目的は地球人類への警告。そして事態を好転させる為のプレデター側の武器、技術を地球側へ供与することであったと思われます。それで同胞のプレデターを裏切り追撃を受けていた冒頭へとそれが繋がる訳ですね。

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宇宙空間での追撃で宇宙船が被弾し地球へ墜落、脱出艇を射出するもそれもメキシコへ墜落、そこで遭遇したマッケナに反撃を受け装備を奪われてしまい、あまつさえスターゲイザーの連中に捕獲されてしまったことから計画が狂います。

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そして、この捕獲された際にフジティブから採取されたゲノム情報に人間のDNAが含まれていたこと、また近年になってプレデターの飛来が頻繁になっていたことからこれまでプレデターが飛来していた目的が狩りだけではなかったことが分かります。

 

彼らの目的は狩りを通して各惑星の生存競争を生き抜いた最強の生物のDNAを搔き集めること、その採取した遺伝子の組み換えによって自身の進化を促すことにありました。ここまで明かされたのが今作での新設定。

 

これまでよりも知的生命体である部分が明らかに強調されています。これまでのキャラクターを覆すような…その行動に闘いだけではない確固たる目的があること、またプレデターたちの中で派閥などの闘争があること。これまでのプレデターは1作目を基調とした設定から基本的に大きく外れることはありませんでしたが今作ではかなり大きく踏み込んだ設定になっています。従来のストイックに強さを求める戦士としてのプレデター像を求める人には不評だったのでしょうね。

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フジティブ・プレデターは地球人類に対し友好的なプレデターであった訳ですが、その割には人殺しすぎじゃね?という疑問が浮かびますね。まあ追っ手が迫っている切迫した状況だったこと、目覚めたら半裸にされ拘束されていた状況だったりしたので心境的にお前らブッコロス!!となるのも分からないではないけども、その目的を考えたらば無闇な交戦はさけるべきだったのでは?更に映画的に考えてもフジティブ・プレデターのキャラクター、立ち位置をはっきりとさせる為にはちゃんと善玉のプレデターとして描く必要があったのではないかと思います。

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でもそうするとフジティブ・プレデターによる大殺戮ショーが拝めなくなってしまうんですよね…これね、従来のクリーチャーとしての魅力を存分に見せつつ、その上で新設定を付加する。キャラクターの描き方としてはチグハグになっている部分はあるんですがね、プレデターフランチャイズとして展開させる為の思惑はありつつも従来のファンが望む描写もキチンと見せるという作り手の凄く真摯な姿勢だと思うんですよね。話の整合性だけを考えれば今作のプレデターは暴れさせる必要はなかった。でもそれじゃつまんねえじゃん!っていう作り手の誠意ですよ!!

 

それまでのキャラクターを覆す設定とはいえあくまでも過去のプレデターの設定を基調とした上でそれを拡張させた新たな設定としてちゃんと成り立っています。だから自分的には全然受け入れられたんですよね。それにこれらのプレデターのパーソナリティって決してプレデター自身から語られることはなくその行動から推測したスターゲイザーの責任者ウィルやケイシー博士の人間側から語られてるんですよね。

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個人的に思うのは人間と意思疎通を図るプレデターってのは観たくなかったんですよ。前記事の『AVP』の項で説明しましたけど。プレデター自身に言葉を語らせたり人格的なものを感じてしまうとクリーチャーとしての魅力が減じてしまう。そこは出会った人間はとりあえず殺すwというプレデター像は守られていました。決して崩してはいないんです。あくまで人間側の推測、好意的な解釈として語られているだけです。プレデターの真意としては分かりません。だからちゃんとバランスを考えた描写になっていると思うんですよね。決して過去作を足蹴にしたようなものにはなってないはずです。

 

 

 

 

 

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さて今作に出てくるプレデターはフジティブ・プレデターだけではない。裏切り者であるフジティブを追う暗殺者として登場するその名も

アルティメット・プレデター

先述したプレデターたちの遺伝子組み換えによりアップデートされた究極のプレデターである。体躯は通常の1.5倍、より戦闘に特化した外骨格など他の生物からの特性を備えた最強のプレデターだ。

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プレデターVSプレデター対決でフジティブが割とアッサリやられてしまう為に物足りなさと後々にその目的が語られなければこの時点では本当何しに来たのコイツ?と首を傾げざるを得ないのでやはり語り口のバランスは悪いかもしれない…この時点では無様に捕まって装備を取り返そうとしているだけでその真意は分からないからな……

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いやいやそんなこたあどうでも良い!!

ちゃんと本当に今までより更にクソ強いプレデターが現れたのだ!!それだけでやんや!でしょう!!スーパー・プレデターなんて名ばかりだった奴のフラストレーションも晴れた!!これだけちゃんと強ければフジティブがかませ犬でも文句はないよ!!

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同胞脊髄も殺した後にはちゃんとぶっこ抜くのも面白かった。今作ではプレデターが倒した相手の脊髄をぶっこ抜くのは戦利品としての意味だけではなくその生物の髄液を回収する為と設定されていたが同胞のプレデターのそれを回収する意味は無く、更に戦利品ですら無くすぐに捨ててたし、目的如何に関係なく単にプレデターの習性としてあるのかもしれない。

脊髄ぶっこ抜くのも、とりあえず出会い頭に人殺すのも。

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となればフジティブが人類との友好的な接触が目的であったのにも関わらずとりあえず人を殺しまくってたのにも説明がつきますね。目的がどうあれそんなの関係ねえと、とりあえず殺せる時は殺しておけと。しょうがない、それがプレデターのさがだもの。

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裏切り者は始末したが、まだアルティメット・プレデターの仕事は終わらない!!フジティブが地球へ持ち込んだ船の積み荷の破壊!!そしてこの地球の最強生物の捕獲!!

そんなに仕事熱心じゃなくていいからさっさと帰ってくれ!!

 

 

 

 

…という願いを聞き入れてくれる訳もなく、この究極のプレデターに相対する人類はっ!!

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最初にプレデター接触したマッケナをはじめとするPTSDだらけの退役軍人愚連隊ルーニーズ!!ダメだ…勝てる気がしない………

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しかしこの面々、とても素敵に個性がスパークした奴らでこれまでで一番アクの強いキャラクターたちになっているのは確かです。シェーン・ブラックの作品の主役はありきたりなタフガイではない。世間のレールから外されてしまった愛すべきダメなヤツなのだ。

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軍人としては落伍者の烙印を押されてしまった彼らが「人を守る」という軍人として唯一残された最低限の矜持を胸に立ち上がる。プレデターに狙われることになってしまう見も知らぬマッケナの息子ローリーのために。

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愚者たちの再生英雄譚。

これは燃えずにはおられぬ。これまでプレデターに対峙した者たちは基本的に自身の生存をかけて闘っていたが今作では特に人間側のドラマにも重きが置かれている。

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ルーニーズにも負けず劣らず生物学者なのに銃器を巧みに扱い参戦するケイシー博士などツッコミどころではあるがそこはもう勢いってもんだ。個性をこれでもかとスパークさせるキャラクターたちが映画を面白くする。

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まあしかし物語の展開がだという声もある。いや、基本のプロットはちゃんと描けていると思う。そもそもマッケナが装備を奪わなければ複雑な状況にならなかったんじゃ…とか、展開のストレートさには欠けているやらローリーがプレデターの言語やデバイスの操作を瞬時に理解するギークの超天才児であったりなど要素を詰め込み過ぎた感は否めないのはあるが…

 

俺が思うに物語の展開というよりはなのは編集だ。場面によっては何が起こっているのか状況を把握しづらいところもあるし、場面の繋ぎも上手くいってない箇所もあるかと思う。アクションの編集もやや雑だ。

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しかしルーニーズは実戦から遠ざかっている元軍人たちだ。1作目のような現役の生え抜きの精鋭のコマンドーたちとは違う。多少しっちゃかめっちゃかなぐらいな今作のアクションの描写がキャラクターに合っていたのではないのかと思う。荒削りであるからこその魅力。

 

 

まあ後はシェーン・ブラックの独特の語り口、緊迫した状況、例えばアクションの最中であってもギャグを入れ込むというクセの強さが合わない人には合わないのだろう。そもそもプレデターにコミカルなテイストを求めてない人もいると思うしハマらなければ本当にハマらんからな、ギャグって。それは致し方ない。

個人的な不満をいえばルーニーズの一人一人にもうちょっとちゃんとした見せ場が欲しかったかなぁ〜と。先述した今回のキャラクターではカッチリとした活躍はなくとも、せめて死に様くらいはもうちょっと………

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いや細けえことはどうでもいいんだよ!!

所詮プレデターは、マッチョとエイリアンが闘うだけの話だ。身も蓋もないことを言っちゃえば。そんな理路整然とした脚本なんて要らんのだ。この手のアクション大作の脚本に精度を求めるのはね、MCUが悪い!MCUがっ!!

マーベル映画がこの手のアクション大作の脚本の精度を高めすぎなんよ…荒削りであるからこそ映える魅力ってのもあるんよ…それが80〜90年代テイストとも言うのかな。今作はこのテイストであるからこそ魅力があると思うのだなあ。

 

あとマーベル映画に悪影響を受けているといえばラストのアレね……

 

 

 

 

 

フジティブ・プレデターからの人類への贈り物とはなんだったのか?それがラストで明かされる…

 

 

 

 

 

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ぷぅれでたぁ〜・きらぁぁぁあ!!!ガシャーン!!カッケェ〜!!!

実に中二病心くすぐるアイテムでテンション上がってしまう諸兄多数だったと思うけど、でも冷静に考えてみれば…うん、それで?っていうw

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プレデター・キラー

これがどういう代物なのかと推察すると…プレデターの姿を模したパワードスーツ。

大口径のプラズマキャノン二門同時複数ポイントできると思われるレーザーサイトが装備されているのが分かる。これは単体の戦闘力ではプレデターに敵わない人類がプレデターと同等の、若しくはそれ以上の戦闘力を有する為に作られたものだと思われる。自分の見解では最初から人類へ向けて設計されたものと思う。プレデタープレデターのガワを着る必要ないですからね。

 

まあコレ一体持ってこられたところで根本の問題の解決にはならないと思うんだけど…しかしコレは

「滅びるのを待つのか?闘え!!」

というフジティブ・プレデターの実に戦士らしいメッセージなのかもしれない。地球人に友愛の情があった訳ではなく人間に闘うことを促しているのかも。闘いこそ言語の彼らだから闘い合って殺し合うことこそ至高と思い面白半分くらいで送り届けようとしたのかもしれない。

 

フジティブが反旗を翻した主流派側のプレデターは種の保存やテクノロジーによる形振り構わぬ進化と、根っからの戦士であるフジティブから見れば主流派は“戦士としての矜持”を忘れたプレデターなのかもしれない。フジティブにも人間のDNAが組み込まれていたので遺伝子操作の恩恵は受けてる訳だけども、そこは戦士の心持ちとして。彼らはやりすぎたのだ。

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プレデターが獲物の脊髄をぶっこ抜くのはその髄液でDNAを採取する為とされていたがコレも無理矢理な設定ではあるかなあ…とは思ったんだけど。本来はプレデターの人間離れした怪力を表現する為の設定だったろう。素手で頭蓋骨ごと脊髄まで引き抜くって。

まあそれとちゃんとDNAを採取するならば生け捕りの方がいいと思うしね。実際ローリーは生け捕りにしてたし。

コレもプレデター側では本来、純粋に狩りの戦利品としての行為だったけど一部のプレデターにとってはその目的が変遷していったのではないかと。最初はその戦利品からDNAを採取することを考え出し、いずれそれ自体が目的となり戦士としての矜持を忘れ無抵抗の人間を捕獲するまでに至る。ましてや今回アルティメット・プレデターが狙っていたのは子供だ。フジティブ・プレデターはそれが許せなかったのだ。彼の目的にはローリーを守ることもあったかもしれない。

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いやはや想像が膨らんで楽しいですね。

だから今回の設定は本当によく考えられてると思うんですよ。従来のプレデターの設定をきっちりと踏まえた上で拡張してると思いますし。あと旧来のプレデターと新たな設定のプレデターとの対立構造。これはファンの中でもそれぞれ捉え方が異なるのを逆手に取って組み込んだようにも見えませんか?既にキャラクターとしては一人立ちしてしまっている以上は従来の作風を繰り返しても仕方ない。

監督シェーン・ブラックと脚本フレッド・デッカーは実に良い仕事をしたと思います。

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まあしかしザ・プレデターって

まさにこれぞ、プレデターとも言うべきタイトルであるからして従来のプレデターを見せて欲しかったと期待するのも当然かなと思います。今作はリブートの気もありましたしね。でも従来の路線でやっても1以上にはなり得ないと思うんです。だからこそ従来のファンを蔑ろにすることなく新たな設定を盛り込み今後の展開の可能性を拡げるべく大きく踏み込んだ今作を自分は全面的に支持したい。今後の展開が楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ちゃうちゃーう!!ここで話すべきことはそんなことじゃなぁーい!!!

ここで話そうと思っていたのはそれじゃねえ!!いつの間にやらまとめに入っちゃってたけど!!今後フランチャイズ展開していくからといってもだな、その次のフランチャイズ展開を匂わせるような最後の最後のフック!!いやまあ次が楽しみになるかもしれんけど一つの作品としては実に中途半端に見えてしまうんじゃい!!プレデターって今までちゃんとスッキリして単独で終わるシリーズだったでしょう?!先の偉大な成功者に倣って変に引っ張るような演出ぶち込むこたあないねん!!!

 

そう!それもね、MCUのせい!!!

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ラーメン!つけ麺!僕チャーハン!!

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炒飯…簡単なように思えて奥深い料理である。家庭では火力の問題もあり中々ちゃんと美味しい炒飯を作るのは難しいことだ。今時は冷凍の炒飯でもプロ顔負けのクオリティなので下手に自分で作るよりはそちらの方がお手軽で確実だ。

 

しかし冷凍の炒飯でもレンチンで済ますよりはちゃんと鍋で火を入れた方がいい。好みによっては卵やネギを追加で投入してもいい。まあしかし一応それなりには自炊ぐらいはする身としては炒飯くらいは自分の手で作りたい。美味しい炒飯を作るべく日々切磋琢磨しているのだ。

 

 

 

 

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自分の炒飯の作り方としては、まずラードを充分に鍋で温めてそこへ創味シャンタンのペーストを溶かす。塩コショウだけでは味に奥行きが出ない。まあコレはいわゆる中華スープの素だ。コレで中華屋さんの炒飯の風味になる。

 

そして更にそこへ溶き卵、ご飯を投入し炒める訳だがここでのコツは炒めながら小まめにご飯をシャモジで切るように捌く、よく混ぜる、しっかり米粒を鍋に押し当てるように熱すること。ここはご飯がダマにならぬようにしっかりやること。

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炒飯というと鍋振りしている様子をイメージするかもしれない。でもこれは家庭用の火力では飯を鍋から離してしまうと伝わる熱が均一にならないのでパフォーマンスとしてやる以外はやる意味がない。丹念に鍋できちんと火を入れる。これが家庭で美味しい炒飯を作るコツだ。

 

あと炒飯といえば冷やご飯と思うだろうがやはりそれでは熱が伝わりにくいのでホカホカのご飯を使うのが良い。冷やご飯でもレンチンで温めればOKだ。さて後はパラパラへと炒めるには…とりあえず具材を入れすぎない。水分が出過ぎるとベチャベチャになってしまう。家庭だとエビ炒飯辺りはエビから水分が出過ぎて難しい。素揚げするとかやり方はあるけど。あと必ずしも強火じゃなくていい。きちんと丹念に熱入れするなら中火でも大丈夫。

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そして最期の味付けの極め!充分に熱したら鍋肌に醤油を流し入れ焦がす!!そして混ぜる!!炒める!!コレは味に深みを出すため重要だ。乱暴だが大概の炒め物にこの醤油を隠し味として入れることは有効だ、味が締まる。さっぱりとした味付けを好む人もいるだろうからそこは好みだ。

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さて、完成!!炒める時にネギを入れすぎてはダメだと先述したが盛り付けた時に散らしても良いのだ。シャキッとした食感も残るから良いアクセントになるぞ。

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また盛り付けはご飯茶碗か何かで丸く成形するとより中華屋さんの炒飯っぽくなりますな。これも各人の好みで。さて決して専門的ではないし料理人ですらないからあくまでコツ程度のことだけどたまには映画に関係ないこんな話題もどうですか?的な。男でも女でも多少は自炊くらいは出来た方が良いぞ。映画ばっかり観てんじゃねえ!!なんのブログなんだよコレ………

 

 

 

最新作『ザ・プレデター』が打破してくれる!と願いを込めて!AVP以降のコレジャナイ、プレデター

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SFホラー界を代表するクリーチャーであるプレデター。1作目が1987年に公開。甲殻類と爬虫類を掛け合わせた様なグロテスクな容貌とは裏腹に地球を遥かに凌駕する科学技術を扱い、また闘いが言語ともいう独特な文化様式を持つという設定の深みが面白いキャラクターとしての魅力と、人間を狩りの獲物として捉え容赦なく惨殺していくクリーチャーとしての畏怖の魅力が合わさった他にはない強力な個性がこのプレデターの特徴で、この当時の人類最強シュワルツェネッガーとジャングルで死闘を繰り広げた勇姿が多くの人の心を掴んだ。

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さらに続く続編『プレデター2』が1990年に公開されるが残念ながらシュワルツェネッガーが降りてしまいゴリゴリマッチョが死闘を演じた前作よりもパワーダウンかと思われたが市街戦に趣を変え、プレデターのキャラクターとしての魅力をより拡大した好編として仕上がった。前作では宇宙からジャングルへやってきた異形の狩人という以上のキャラクター性はなく習性など詳細な設定が詰められたのはこの2作目から。既にこの作品でSFホラー界のクリーチャー二大巨塔として相対するエイリアンとの関係性もラストに示唆されている。あくまでこの時はネタ的なものであるが。

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そしてそこから少しブランクが空き2004年に【嘘から出た誠】的なエイリアンとの対決企画『エイリアンVSプレデター』が公開。ここでプレデターユニバースは新たな局面を迎えることになる。しばらくの間映画シリーズは休眠状態ではあったもののその人気の高さからコミックシリーズなどが展開していた為、この辺でプレデターというキャラクターの捉え方が変遷していたのかもしれないのだが自分は未見なのでなんとも言えない。

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あくまで映画シリーズだけに絞った話をするけど、どうにもこの『エイリアンVSプレデター』(以下、略称AVP)以降のプレデターは俺が思うプレデターとはなんかコレジャナイ感が漂ってしまうのだ。最新作『ザ・プレデター』ではそれを打破してくれると信じて!俺が思う俺が観たいプレデターとはなんぞや?!そもそものプレデターのキャラクター性とそしてAVP以降のプレデターを検証してそれを浮き彫りにしていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

そもそもプレデターとは何者か?

宇宙の様々な惑星を渡り歩き、その惑星に生息する特に攻撃力(兵器力)に富み危険性の高い動物を狩猟することを主要かつ重要な民族的文化としている人型知的生命体。(Wikipediaより抜粋。)

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相対するエイリアンは獰猛な性質であり、生態系そのものが人類にとって脅威であり感情移入する余地のない純然たるクリーチャーですが、プレデターは高い知力を有し独自の文化があり無闇やたらと殺傷を行う訳ではなくそこには彼らなりのルールや美学があるのです。そこはかとなく人格というものを感じさせもするからエイリアンよりは感情移入する余地があるんですよね。クリーチャーとキャラクターの特性を併せ持つのがプレデターの最大の特徴だと言えます。

 

しかしこのクリーチャーとしての畏怖、キャラクターとしての個性を併せ持つ反面、このバランスの取り方ひとつで魅力の良し悪しが変わってしまうので扱いが大変難しい。個人個人によるイメージの違いもあるでしょうし。

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少なくとも自分の思うプレデターは、あまりキャラクターとしての個性の方に比重を傾け過ぎて欲しくないのがあります。あくまでもプレデターはクリーチャーであり感情移入できる個性の方を拡大してしまうとクリーチャーとしての畏怖が明らかに目減りする。多少はあってもいいしそこが魅力なんだけど、人格をあまり過剰に付加して欲しくないんですよね。

 

だから多くの人がプレデターに抱くイメージとして…女子供は殺さない、闘うにたる戦士と認めた相手には正々堂々と武装を捨てて闘うなど、そういう部分を「武士」だとか評するのには違和感があって。

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それはちょっと人間的なイメージで捉え過ぎというか。そもそも他人の惑星に来て自分勝手に狩りを始める傍迷惑なヤツですよ?武士とか武士道って日本人である自分も詳しくはよく分からないけども、自己完結的な美学を持った生き様だと思うのね。少なくとも自分の快楽の為に多くを殺傷することは武士道とは言えないでしょう。

 

その辺のプレデターの行動理由はあくまでも彼ら独自のルールや様式に乗っ取られている訳で、そこに人間の思う感情的理由が当てはまるとは思えません。その手前勝手なルールを有無を言わさずに人間に押し付けて狩りに巻き込む訳ですし。彼らは闘いが言語です。命を掛けて互いに殺し合うという特殊で極限な状況での関係だからこそ互いに感じるシンパシー。その程度のことだと思うんです。そこに感情はないんですよね。

 

あくまでも殺し殺され合う関係が変わることはないんですよ。戦士として同じ心理へ陥ることで生まれる共感はあれどプレデターと人間が相入れることは決してないんです。それが自分の思うプレデターのキャラクター。でもそれが正しい解釈だという訳ではなく個人が好きなイメージを投影するのは構わないと思います。俺の見解ではこうだと言うことです。個人の解釈は自由なんですが、それを公式でやられてしまうと……こちらが想像する余地がある案配の設定に留めて欲しいんですよね。

 

 

 

 

 

AVP』におけるプレデター

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AVP』においてのプレデターはキャラクターとして比重を寄せ過ぎなんですよ。ちょっとヒロイックに描き過ぎている。先に述べたように決して人間と相入れる存在ではないのに今作では人間のヒロインと明らかに意思疎通を交わしエイリアンを倒す為に共闘しちゃうんですよ。

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先に述べた俺の思うプレデター像からすると「それはない!!」となる訳です。これは監督のポール・WS・アンダーソンがプレデターをこう捉えているということなんでしょうね。映画のみならずコミックからの引用なども散りばめてるようなのでコミックで描写されるプレデターはヒロイックな感じなんでしょうか。

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いや何にしてもプレデターの素顔ってコレなんですから。少なくとも絶対仲良くなれないタイプの顔として造形されてる訳ですよね?だからコイツをヒロイックなカッコよさで見せようとすんのがおかしいんだって。基本的に悪役として描写されるべきです。

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決して人間に肩入れするのではなくて、あくまでもエイリアンを共通の敵として状況的に結果的に人間を助ける形になったってしまったっていう程度に留めて欲しかったですね。終盤のヒロインと一緒にリフトに乗って脱出する画ヅラのダサさとかラスト付近は本当に萎えてしまう展開でなんともスッキリしない映画でした。

 

プレデターがなぜエイリアンと戦うのか?って辺りの設定は中々よく考えられていたと思います。プレデターが一人前の戦士として成人する為の儀式としてエイリアン狩りをすると。(地球でやるなよ!って思うけど。)不満点としては、そうなると前作までの人間を狩りにきたプレデターは半人前のプレデターだったなどという設定へ貶めてしまうところですね。まあ最新作のプレデターが一番強いって前作との差別化したいのは分かるけど、でもその為に前作を下げるこたぁねえだろと思うんですよ。これは後述する『プレデターズ』にも言えることなんですけど。

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その点2007年公開の続編『AVP2』のプレデターは良かったんですよね。クリーチャーとしての魅力全開で。人間もエイリアンも構わずに惨殺しまくり感情移入する余地など微塵もない。プレデターとエイリアンが死闘を繰り広げる中に人間が巻き込まれていって死屍累々と惨状が広がっていくめっちゃスラッシュホラー然とした作風もより観たかったテイストに仕上がってて。他所でやれや!っていうクリーチャーどもの傍迷惑さも最高潮w

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主役のウルフ・プレデターや、エイリアンとのハーフのプレデタリアン!(パチモンみたいな名前だがw)の造型も素晴らしいですしね。んで基本的にプレデターは街中に放たれてしまったエイリアンを駆除して事態を収拾するのが任務なので人間に見向きもしないし攻撃を受けたり邪魔であれば殺す感じなんだけど死闘の末、結果的になんだかんだ人間を助けてしまっているって辺りのバランスもいいんですよね。人間との距離感というか。『AVP』以降の展開されたシリーズの中では一番好きなんですよねコレが。でも評価あんまり高くないんですよ。それは映画として大きな問題が実はあって…

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とにかく画面が暗くて何をやってるんだか全く見えないということ!!最高のキャラ造型も詳細が全然分からない!!コレもう脚本とか演出とかそれ以前の問題でしょw当時劇場で観たら本当にちっとも画面が見えなかった!!コレはホラー映画としての作風を追求する為に現場で中古のカメラを使ったんだとかポスプロで更に暗く調整したとか言われてるんだけども、本当に冗談じゃなく見えなかったんだよね…w見えないぐらいに暗くしてどうすんだよ!!

 

ただ今現在Blu-rayでそこそこのモニターで観る限りにはそこまで観難くはないです。暗くて見えなかったのは公開当時の劇場設備の関係もあるかなと。自宅のTVであればゲインも調整出来ますし。当時劇場で暗くて見えなかったって人、評価の低さから手を出してなかった人、最新作公開の前に観てみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

そして…『プレデターズ

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そして正式なナンバリングタイトルとしては20年ぶりとなる3作目『プレデターズ』が2010年公開。続編というよりは1作目を踏襲した内容のリブートに近い。だが舞台は地球外の惑星となりタイトル通りにプレデターが複数登場する。元々は1995年頃にプレデター3として製作ロバート・ロドリゲスが書いた脚本が元となっており1作目を踏襲したジャングル戦だが別の惑星が舞台、複数のプレデターの登場はその時から盛り込まれていたそう。

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この作品で描かれるプレデター像自体は俺の思うそれとはブレてはいないんだけども…いやもうね、そんなプレデター云々どころじゃない問題点というか大きな欠点がこの映画には存在しとる訳ですよ。

 

それは……プレデター人間双方ともにまったくもって魅力あるキャラクター描写が出来ていないこと!!基本的には1作目と同じでジャングルで人間とプレデターが闘うってだけの話なので非常にシンプルなプロットなんですよ。シンプルなプロットで映画の面白さを追求する為には登場人物たちを如何に魅力的に描くかが肝だと思います。主人公は何故闘うのか?主人公は何に怒っているのか?脅えているのか?キャラクターのフィジカルな面をきちんと描くことでアクションにも感情が入りエモーショナルになるんですよ。

 

プレデターズ』ではそれが出来ていない。それがきちんと出来ていた1作目を踏襲しているからこそ、よりその不出来な面が浮き彫りになってしまっているんです。具体的なキャラクターをあげて説明しましょう。

 

 

 

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まずは『プレデター』からコマンドー部隊の一員ビリー。ネイティブ・アメリカンの一族の末裔で鋭き第六感的感覚を有していた彼は隊員の中で誰よりも早くプレデターの気配を察知する。

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それ故に彼は誰よりもプレデターの存在に恐怖を覚えていたのだが、次々に仲間がやられ部隊が追い詰められる終盤では彼は己の中の恐怖を振り払わんとするように残る仲間の前に身を挺し退路を確保する為にプレデターに一騎討ちを挑む。

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そのシーンごとの人物の行動理由や心情を観ていて確かに感じ取れる。または想像にたり得る。これがキャラクターがうまく描けているということですよね。この時のビリーが一人立ち向かう悲壮な想いが観ているこちらにも理解出来るからこそ感情移入もするしシーンが盛り上がる。

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その他の隊員の一人一人も個性豊かに愛着の持てるキャラクターとして描かれています。この映画の中で確かに息づいている彼らが無残に殺されていくその慟哭が響くからこそ、また最後に残されたダッチシェイファー少佐とプレデターの死闘が盛り上がるのですよ。

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このキャラクター描写の確かさは『ダイ・ハード』においてもテロリストの末端の一人に至るまで確かな個性を与えたジョン・マクティアナン監督の鮮やかな手腕あればこそですね。

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これが『プレデター』が只のB級ではなく名作たらしめる所以ですね。では、それに対して『プレデターズ』の方はというと………

 

 

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ビリーと同じくプレデターに一騎打ちを挑むキャラクターとして『プレデターズ』では日本人ヤクザのハンゾーが登場します。だがその想いを見て取れたビリーとは違い、このハンゾーはなんでそんな行動を取ったのかその心情がよく分からないんですよね。

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そもそもこのハンゾーというキャラクター、登場してから暫く口を開かず初めて言葉を発した時には「英語が喋れたのか!」って周りに驚かれるシーンがあるんですが、それまで彼が口を噤んでいた理由も釈然としないし。日本人だから寡黙?英語が不得意?ってイメージが与えられてるとしたらステレオタイプで薄っぺらい。

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それでいても口数の少ないキャラクターで性格もよく分からないのに突如ビリーと同じ行動に出られたところで唐突すぎるし全然シーンとして盛り上がらないんですよね。『プレデター』では同じ釜の飯を食った部隊の仲間の絆があったけど『プレデターズ』の面々はそれぞれ人種も職種も様々に寄せ集められた奴らだった為に元から仲間意識も高くないし。

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武士と擬えられるプレデターと刀でチャンバラやったら面白いだろうという画ヅラありきで作られてるシーンだと思うんですが、刀を扱うから日本人ってキャラクターに設定されたのならちょっとおざなり過ぎやしませんか。ただ脚本に動かされているようにしか思えなくて興ざめしちゃうんですよ。

 

このシーンを印象的なものするにはそこへ至るまでのキャラクターの描写は不可欠なんだよ!と声を大にして言いたい。そこは同じ行動を取らせるならばビリーのキャラクターを踏襲してもいいのだ。だがプレデターの気配にいち早く気づくという役割は他のキャラに振り当てられている。

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しかし早々に死んでしまうので、何それ?!いち早く気づくってキャラ付け意味ねえじゃねえか!!

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ダニー・トレホもすぐ死ぬ。ダニー・トレホなのに。しかも何故死んだのかさえよく分からない…無駄遣い過ぎるだろ。

 

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一匹狼気取っていざとなるとプレデターには逃げ腰のエイドリアン・ブロディもなんだかなあ。エイドリアン・ブロディっぽいっちゃあっぽいキャラクターなんだけども。ムキムキで頑張ってはいるんだが…最後の最後だけダッチシェイファー気取られてもヨォ……

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プレデターから隠れてジャングルに長年潜んでいるはずなのにデップリ太ったローレンス・フィッシュバーンとかヨォ…もう文句しか出てこんわい!!誰一人として愛着の持てるキャラクターが出てこんのですよ『プレデターズ』では。

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あ!アリシー・ブラガだけは好きっス!!ただ好みなだけですけど。

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キャラクターに魅力がないのに人間側のドラマに話が終始しがちでプレデターとのバトル自体は少なめなのもどうにも…人間同士のイザコザやら実は本性隠してましたみたいなそんな展開見たい訳じゃないわい…ちゃんと闘ってくれよ!!

 

 

 

 

 

そして肝心のプレデターはというと…

今作のプレデターはこれまでのプレデターを遥かに凌駕する強さを誇る種族【スーパー・プレデター】という設定になっています。

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うん、いいんですよ。これまでのシリーズの中でもこの最新作のプレデターが一番強いんだとそういう位置付けにすること自体は。でもその強さを印象づける為のかませ犬扱いに過去作のプレデターを引っ張りだすこたあないよなあ。

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スーパー・プレデターたちの野営地に1作目のジャングルハンターを模したプレデターが磔にされとる訳ですよ。だからこれまでのプレデターよりも強い!ってのは分かったからこう過去作を無駄に貶めるような真似をすんなって!!

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これだけでムカッとくる描写なんだけど、それで実際スーパー・プレデターが強ければまあ納得できるんだけど弱いんですよスーパー・プレデター…何がスーパー・プレデターじゃ!!それぞれの個性もイマイチで魅力もないしなあ……

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まずはトラッカー・プレデター。猟犬を従え、小手調べに人間に猟犬を放ってくるという設定のプレデターです。

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この設定がプレデターを武士と擬えるような人には評判が良くないようです。「卑怯である」と。いやいや卑怯もクソも…だから人間的な観点で考えちゃいけません。もともと自分勝手に狩りを仕掛けてくる奴らです。

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それにジャングルハンターとか過去作のプレデターは最初、クローキングデバイス光学迷彩装置)を使って姿を見せずに闇討ちのように襲ってくる訳ですよ?これは卑怯ではないのか?闘うに値する相手を見定める為という最もらしい理由はあるんですけどね。

 

卑怯もクソもない。コレが彼らの狩りのスタイル。猟犬というのも基本的な狩りのスタイルですよね。自分としてはそこに不満はないんですけど…でも多くの人がプレデターに抱くイメージを裏切る、でもその裏切った以上の魅力がないという点で魅力的にプレデターのキャラクターを描くことには失敗してるんですよね。

 

かつてのプレデターは小手調べに姿を隠してと言えども己の身ひとつで襲いくるのに対して犬をけしかけてくるってショボく思えます。それまでにない個性を描写したかったんでしょうが過去作のプレデターよりも強いっていうキャラクターには合致していないんじゃないかと思います。

 

 

 

 

 

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続いてファルコナー・プレデター鷹匠の意を取るその名前の如くタカ型のドローンを駆使するプレデターである…………以上。現代的な付加価値で面白いとは思うんだけどそれ以上の個性はない。ドローン飛ばすだけって…一応ヤクザとのチャンバラという見せ場はあるのだが…あとこのスーパー・プレデターたちプレデターにはお馴染みの網状のスーツを着てなくてつんつるてんなのもショボく見えるんですよね…着てないことが強さのアドバンテージという訳でもなくて単に魅力減ってだけなんですよね。身体が妙にヒョロい作りなのもある。

 

 

 

 

 

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そして真打!リーダー格のバーサーカープレデター!!三人の中で一番強い!!っていうのが個性……のはずなんだけどスーパー・プレデターたち全然強く見えねえからそもそも…旧プレデターの首を斬り飛ばしたりという見せ場はあるけどその後にエイドリアン・ブロディに一方的にボコボコに殴られたりするので結局、弱い…なんなんだよ!!

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そしてバーサーカーだけが唯一見せるマスクの下の素顔が…………プレデターをカッコいいとは言わないんだけどその造型の魅力をすべて削ぎ落としたかのようなこのデザイン……なんかパチモンのモンスターみたいだし本当に魅力がないわぁ〜……

 

それまでのプレデターを凌駕する究極のプレデターというキャラ付けならそれを徹底してくれ!!圧倒的な強さを見せつけてくれ!!自分たちで設定したキャラクターをなんでちゃんと具現化できないんだよ!!!もうね…『プレデターズ』に関しては俺が思うプレデターとかいう以前の問題で、より純粋に映画の作りとしてダメという正直1と2に続くナンバリングタイトルとしては認めたくないなあという微妙過ぎる一作です。

 

 

 

 

 

 

ハッ……!!

気づいたらほぼ大半が『プレデターズ』への文句ばっかりで埋め尽くされている…!!

まあでもねえ、それぐらいに複雑な想いを抱かされた作品だったんですよね『プレデターズ』って。散々貶してますがつまらない作品って訳ではないのでコレも最新作公開前に一見を。

 

 

 

 

 

 

最後に………

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さて!だいぶ話は偏りましたが……遂に公開される最新作『ザ・プレデター』先述した様々な不満をこの最新作が払拭してくれることを信じて!!俺の観たいプレデターを魅せてくれると信じて!!

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監督は1作目で過激な下ネタジョークを飛ばしまくっていたシェーン・ブラック!!本来のプレデターを知る彼が、80〜90年代のハリウッド映画イズムを継承する彼が必ずややってくれるはずだと信じて!!公開を心待ちにしたいと思います!!

 

 

 

ザ・プレデター』9/14(金)公開です!!心待ちにせよ!!

 

オッサンがDVDを実店舗で買ってた頃とかを懐かしんだりする話。

今の時代はとにかくソフトが売れなくなった…定額の動画配信サービスなど映画を鑑賞する手段が格段に増えて恵まれているとは言えるがその弊害としてレンタル店の利用客の減少がある。大手の某レンタル店の各店舗も続々と店をたたむ始末。観たい映画を借りるという行為さえ縮小の一途を辿っているのだ。ましてや決して安くはない金をはたいてソフトを買うという人など更に少数だろう。

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今現在は若い人は殆どレンタル店を利用せずに動画配信サービスの方を利用していると聞く。自分はこの手の動画配信の類は一切利用していない。劇場以外での鑑賞はセルレンタル合わせてソフトでの鑑賞が専らである。一応その他に映画専門チャンネルは契約してはいるが。やはり好きな映画は手元にある方が良い。いつでも自分の映画遍歴や鑑賞してきた経歴、記憶と合致したライブラリを参照できるからだ。

 

この好きな映画を気軽に手元へ置けるというDVDの登場は映画好きにとってはとても革新的な出来事だった。映画のセルソフトはそれまで皆無だった訳ではないがとにかくVHSにおいては映画のソフトはまだまだ高かった。基本的に一万超え。レンタルのリース価格と同等の値段であったろう。たまに大ヒットした映画などは手軽に買える値段で販売されたりしたがごく少数だ。アルマゲドンのVHSはコンビニなどで安値で販売されていたのでそれは買った記憶がある。あとはジブリ作品とかかな。もののけ姫

 

LDなんてシロモノもあったがそんなもん一部の裕福な家くらいしか持ってなかった。それかその当時から映画やアニメ好きの社会人の兄貴とかいた家。まあ大体この裕福な家の子なんてのはいけすかないような奴が多かったんだよな…ってのはまた別の話なので割愛。

 

その頃は劇場以外での鑑賞はテレビでの洋画劇場だ。今では殆ど無くなってしまった地上波での映画番組だが自分が幼少〜青春時代の頃は毎日豊富に色んな映画が放映されていた。それを録画するのが映画を手元に置く手軽な手段だった。先にも述したように手軽に正規のソフトなど買えなかったし。

 

そこに登場したのがDVDだ。ゲーム機でありながらDVD再生機能も有していたPS2の普及によってDVDも爆発的に普及した。ゲームソフトが基本的に5800円〜6800円という値段設定に対してDVDは3800円、4700円という価格帯で5000円に満たない価格で入手できた。先述したVHSの1万円台からすれば相当な価格破壊だ。東宝のDVDだけは洋邦問わずに6000円という強気な価格設定であったが。

 

DVDが登場したのは自分が高校生の頃。バイトなど一切せずにお小遣い制だったのでそれほど自由にDVDを買えた訳では無かったがそれでも何点かは映画のDVDを購入した。自分が初めて買った映画のDVDは『スクリーム3』であった。

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VHSでの以前と比べれば気軽に買える価格帯も魅力ではあったがそれよりもさらに衝撃的だったのはDVDが有していたインタラクティブ性である。チャプター機能。それぞれ任意で好きなシーンからどこからでも自由に再生が出来る。VHSだとテープを巻き戻したりすることしか出来ずに利便性が悪い。チャプターだと一発で任意のシーンへ飛べるのだ。そして字幕と日本語吹き替えを選んで再生出来るなど。更に映画本編意外にも豊富な特典映像も見れる。今では当たり前のことかもしれないが映画を自由に“触れる”という感覚はとにかく衝撃的だったし嬉しかったのだ。

 

そこから社会人になって経済的な自由を手に入れてからとにかく買い漁りまくって今へと至る。今でこそ買うのはネットが主だが昔は店舗で買っていたんだよね。発売日になったらお目当てのソフトをお店に行って探すのが楽しかった。メジャーどころのソフトならどこにでも売っていたがマイナーな映画だとその辺の店には置いてなくて。品揃えがいい店まで遠出して探して練り歩く。それもまた楽しくてね。

 

とにかく古今東西この世に出たソフトはなんでもある究極の品揃えの店といえば今は亡き“石丸電気”だった。

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高校生の頃から、水戸店、横浜店、秋葉原本店と大変お世話になりました。思い入れも深かっただけにこの石丸電気が潰れたのは俺にとっては相当に衝撃的だった出来事です。そう社会人、ちん毛も生えた立派な大人になった俺は映画のDVDだけじゃなくアダルトなDVDだって買った。

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私が初めて買ったアダルトDVDは涼木もも香さんでした。石丸電気さん本当にお世話になりました。映画のみならずこの辺のジャンルまで網羅してたんだよ石丸電気。 

 

デッカい電気はあきーはバラバラ♪

イキましょイキましょイシマール♪

 

本当に最強だった石丸電気。この石丸電気の終焉と共に私の性春時代も終わった気がします。8時ちょうどのあずさ2号で。私は私は貴方から旅立ちました。

 

まあ石丸電気の話はさておき。また実店舗でのDVD漁りといえば豊富な中古市場。これまたヤマダ電機ブックオフなど色んな場所を巡りまくりました。PS2で再生出来たのでゲーム販売店でもDVDが置いてあるお店も多かったですね。ここで廃盤になったレアなソフトを探したりとか練り歩いた訳ですね。

今ではやっぱりDVDが売れない時代だからか中古市場も昔ほどの流動制はなくなって寂しい限り。ネットでいくらでも探せる時代ではありますがネットだと物によってプレミア価格が付いてしまう。

 

そんなプレミアな商品がブックオフなんかでふと安値で置かれてたり。なんてことがあったりするから中古ショップを練り歩くのはより宝探しのような楽しさがあった。今ではどこの中古ショップを巡ろうが殆ど変わり映えしないものばかり並んでいる。まあもう買い漁って買い漁って10年以上なので欲しいものはそこそこ手に持っているから以前ほど欲求がないのもあるだろうけど。

 

そんな自分もほぼ全く実店舗にてDVDを買うことはなくなり今はネットで購入するのが主だ。何より一番は実店舗で買うより値段が安い。まず新作ならば品揃えに惑わされることもない。欲しいものが確実に手軽に手元に届く。便利ではあるんだけど、どこか味気ない。

 

今は実店舗でDVDを買うとすれば500円DVDぐらいだ。これもネットでも注文できるのだがコレに関してはズラッとタイトルが並んでる有象無象の中から選ぶのに醍醐味がある。以前この500円DVDに関しての記事も書いた。よくよく考えたら自分の手で直接DVDに触れて選んで買う、という行為への郷愁のようなものもあって500円DVDのコーナーにフラッと立ち寄ってしまうのかもしれない。

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新品のDVDソフトの中でも最安値である500円DVD。いわゆるコレは廉価版というやつだが、この廉価版の登場にも衝撃があった。基本的に3800円〜4700円という価格帯の中で最初にその価格破壊をおこなったのはワーナーだったろうか。“ハリウッドプライス”という触れ込みで新作の映画ソフトが2980円という価格へ踏み切ったのが最初だったように思う。

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そこから2800円、1500円とより低価格へと移行していき他のメーカーも参入して廉価版だけでも相当のタイトル数がある。さらにさらに映画を手元へ置くのが気軽となった訳だ。低価格である分、無駄に買い漁ってしまう面もありコレクターにとっては痛し痒し的な面もあるけど。まあそれは自己責任。

 

さて、今ではセルレンタルともソフトだけでの鑑賞に限らず各種配信サービスなども充実しているし好きな映画でもたまに観る程度でしかなければわざわざ買う必要もないぐらいで1枚数千円のソフトの元手を取れるくらいに見尽くしてるかというとそうではないけど、でもやはり映画を手元に置くということはやめられない。

 

何より配信と比べて物という形があるから、いざ死んだ時に棺桶に一緒に入れられるという利点があるのだ。好きな映画に囲まれて死ねるなんて映画好きとしてこれ以上にしあわせなことがあろうか。

 

私のツイッターのフォロワーの最長老のそう遠くない将来、その時には棺桶に『ザ・フライ』のDVDを入れてあげたいな、とそう思っています。それではその日が来るまでサヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。またお会いましょうね。

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『ミッション:インポッシブル2』は決してシリーズの鬼子ではない!!最新作フォールアウトを受けて。

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トム・クルーズの徹底したエンターテイナーっぷりと才能ある監督陣の起用で007と肩を並べられる、ハリウッドのアクション映画史を更新し続ける一大シリーズまで成長したミッション:インポッシブルシリーズ。現在最新作フォールアウトが公開中、評価興収ともに好調でシリーズの勢いやとどまること知らずだ。しかし悲しいかな一部のファンにはシリーズの中で2だけが異端児扱いされてしまっている。確かにこれだけ作風が浮いているのだがそれも今作に登板した監督ジョン・ウーが世界観をブチ壊したのだとまるで“戦犯”のような扱いだ。

 

私はそれに異を唱える。2が製作された当時のこのシリーズの流れではこういう内容になることは必然だったのだ。それは1作目から製作も兼ねたトムの意向でもあったしそれを実現するべく尽力したジョン・ウーはあくまでも“戦犯”ではなくトムとの“共犯者”という方が正しい。本記事ではそれを詳しく解説していきます。

 

 

スパイ大作戦”からの逸脱

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この作品が批判される一番大きな点。前作の作風と打って変わりトムの一大スーパーアクションで構成される本作はさながら“トム・クルーズ版007”ともいうべき様相となっている。最初から最後までトムの1人舞台だ。それをオリジナルであるスパイ大作戦の世界観から逸脱してしまったといえば確かにそうなのだが、それはこの2だけの問題ではない。原典からの逸脱をやらかしているのは前作もそうなのだ。

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1作目がスパイ大作戦の世界観をきちんと踏襲しているのは冒頭、オープニングタイトルから序盤という僅かな部分のみだ。あろうことか、このオリジナルのドラマの構図を模したチームメンバーが作戦の失敗によって全滅するという衝撃の展開にて今作の物語は幕を開ける。正統なリメイクとして作られた1作目で普通はこういうプロットにしないだろう。

 

スパイ大作戦のリメイクでありながら、この作品はトム・クルーズの主演作でもあるという側面がある。とりあえずドラマ版への体裁を最低限だけ整えチームの全滅を経てこの映画はトム・クルーズ演じるイーサン・ハントの1人舞台と化す、そういう構成だ。一応イーサンがチームを急造するがあくまでもイーサンの引き立て役でしかない。徹頭徹尾活躍するのもイーサン、事件もイーサンひとりで決着をつけてしまう。

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そしてよりにもよって今作での事件の黒幕はドラマ版のリーダーであったジム・フェルプスに設定されている。

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今作にきちんとオリジナルへのリスペクトがあったのならば、やはり普通こういう設定にしないだろう。意外性があるといえば意外性はあるがオールドファンからすれば噴飯ものの改悪だろう。実際ドラマ版のキャストはこの作品に対して良い印象を持たなかったようだ。

 

更に言えば映画版の新たな主人公として出てきたイーサン・ハントがドラマ版の主人公を葬り去って、改めてこの新世スパイ大作戦の主役の座を捥ぎ取るという結末でもある。だから普通こういうプロットにしないよね?っていう。

 

結局はこの作品、スパイ物の映像作品としては007に匹敵する知名度を持っているスパイ大作戦を引き合いにしてトム・クルーズが演じるスーパースパイ“イーサン・ハント”を誕生させる為の映画だったと思うのだ。

 

だからこの1作目の構成を考えれば続編にてイーサン・ハントことトム・クルーズの1人舞台感がより増した作風になることは必然だったのだ。いきなり2だけが作風を違えたのではない。1でしっかりと種が撒かれ2でそれが萌芽したのである。それが3でもって改めてスパイ大作戦の世界観にきっちりと立ち返ったもんだから、この2だけが浮いてしまったという訳だ。

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当初のトム・クルーズの構想では毎作監督を変え1作ごと全く違うスタイルでシリーズを製作していくはずだった。ジョン・ウーはトムから「オリジナルのドラマ版も前作も気にしなくていいから貴方のスタイルで撮って欲しい。」と言われオファーを受けている。このトムの発言からすればスパイ大作戦の世界観を守る気はさらさらなかったように思える。

 

トムにとっては念願の自身初の本格スーパーアクション大作!前作が結局は組織内の内ゲバだった殺伐とした作風はうっちゃって軽快なアクション&ロマンス!!が、やりたかったんですよね。そこで当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったアクションの詩人、ジョン・ウーを起用するというトムの目利きの高さは流石だとは思います。

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3でJ・J・エイブラムスが登板したからこそ今に続くフォールアウトまでスパイ大作戦の世界へ立ち返った一貫した設定がある程度統一されるようにはなりましたが、でもこのシリーズのスタート当初時点ではスパイ大作戦にしっかりと向き合ってはいなかったのだから続く2においてのこのシリーズらしさなんてトム自身も製作も把握していなかったのではないでしょうか。

 

とりあえず記号的に配される指令テープ、変装マスク、宙吊り、そしてトム以外では全作登板のチームメンバー、作品の魂であるルーサー・スティッケル(ヴィング・レイムス)。これらの要素だけでなんとかシリーズの連続性を維持した形になっています。

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ここまで読んで頂けたならばとりあえずジョン・ウーだけが一概に悪いという訳ではないことは理解してもらえたと思います。これはトム並びに製作の意向でもあったし必然の流れだったのだと。続く3から方向転換をしたせいで2だけが浮きシワ寄せを2がモロに被る形になってしまったとそういうことです。

 

そして今作でトムが命知らずなスタントを数々こなしたことがコレがきっちりとシリーズのお決まりとなっていきます。浮いているように見えて後々のシリーズへと与えた影響は少なくない。

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最新作フォールアウトはシリーズ全てを内包した集大成的な内容となっており2がシリーズの中でしっかりと息づいていることを表明してくれている描写もある。次に上げている画像はそれの一番分かりやすい部分。

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これで公式にも2はシリーズの要らん子ではないということが証明されている。さらにフォールアウトのアクションありきでゴリ押しの作風は2のバランスにも近い。1からこのシリーズの問題点であったスパイ大作戦トム・クルーズ主演作という兼ね合い。そのバランスの模索がこのシリーズを続けていく上での命題であっただろう。

 

2が突出したアクション大作となったのも、3にてちゃんとオリジナルの世界観と向き合ったのもシリーズが今に至るまでに必要な通過儀礼であった。だからまた改めて言わせてもらいたい、決して2はシリーズの鬼子ではないのだと。

 

製作側は元より2を否定していた訳ではないが3以降が一貫した世界観になっていたからこそ触れられなかった2を最新作で改めて再評価を与えてくれた。2の一部のファンの批判に対してモヤモヤした想いを抱えていた自分にとってはこれだけで感動してしまった。

 

という訳でミッション:インポッシブル2に批判的な、良い印象を持ってない人もフォールアウトを受けて改めてこの作品を再評価してみてほしい。フォールアウトを観る前でも後でも。貴方の中での2の立ち位置が変わるかもしれない。少なくとも本作もれっきとしたシリーズの一員なのだ。それだけ認めて頂きたいと筆者は強く願っているのであります。あとは好みの問題ですね。

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【ワンシーン批評】『ラッシュアワー』3度目の正直!遂にジャッキーがハリウッドの地に降り立つ!!

こんにちは。久々の更新となりました。タイマです。さて今回は映画のワンシーンのみを抽出して語るという体で映画を語っていきたいと思います。

 

完全にナガ@映画垢さんのブログ『ナガの短く映画を語りたい』のパクリでお送りしていきます。なにとぞよろしくお願いします。

 

【パクリ元】ナガの短く映画を語りたい

 

という訳で今回語る映画は『ラッシュアワー

1998年公開のアメリカ映画です。

言わずとも知れた香港のトップアクションスター、ジャッキー・チェン 。80年代の二度のハリウッド進出は失敗に終わるも、95年に三度目の正直で製作した『レッド・ブロンクス』がめでたくアメリカの興行収入成績1位を記録。遂にハリウッド進出を果たしたジャッキー・チェンアメリカ映画第1作がこの『ラッシュアワー』です。

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その映画から抽出するワンシーンがこちら。“Hollywood”の看板へぶら下がるジャッキー。遂にジャッキーがハリウッドの地に降り立った!ということを実に彼らしいスタイルで見せてくれている感慨深いシーンです。そしてこの作品も大ヒットを記録し、アジアのトップスターから世界のトップスターに仲間入りを果たしたということをまざまざとスクリーンで見せつけてくれました。

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でもしかし、このワンシーンはともかく映画としての私の評価は決して高くはありません。ジャッキー自身も後に自身の著書などで述懐しているように香港とアメリカのアクションにおけるスタイルや技術の差が露呈する形となり以前からのジャッキーのファンとしては色々と満足できないところが多々ありました。

 

 

 

 

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まずはジャッキーが堂々の単独主演ではないこと。クリス・タッカーを相棒としたバディ・アクションムービーとして作られました。ジャッキーがハリウッド進出に失敗した80年代のアクション映画はハードなバイオレンスが主流。更に2人のゴリゴリマッチョが雌雄を争っていた時代です。

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先立つブルース・リーが一時的にハリウッドへ起こしたカンフー・ブームの面影も既になく、

ジャッキーのコミカルで手数の多いアクションスタイルは全く受け入れられませんでした。ハリウッドへ進出を目指した時期が悪かったと思います。

 

 

しかしジャッキーのハリウッド進出が多少なりともハリウッドに影響を与え80年代末期から90年代へかけてコミカルなテイストを加えたアクション映画が製作され始めます。

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後にジャッキーのコミカルなテイストが受け入れられる基盤を作ったのがこれらの作品だと考えれば、『ラッシュアワー』がこれらの作品を踏襲したテイストのものになるという文脈が理解できます。また西洋と東洋の映画文化の融合という形を分かりやすく示す意味でバディ・ムービーにしたのではないかと考えます。

 

 

自分もバディ・ムービー自体は好物なんだけど…問題はクリス・タッカーなんですよ…

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とにかくこの男、ただただ煩いし鬱陶しいw個人的にはあんまし魅力を感じません。前述した文脈からしたらエディ・マーフィーの方が良かったなあって思うんですね。あくまでこれは個人の好みかもしれません。でもなんでジャッキーにこんな珍妙な男をくっ付けやがるんだ!って想いがあったのは確かですw

 

 

 

まあこれよりも、この映画にはもっと重要な問題があって。アクション映画の一番のキモであるそのアクション。この当時のアメリカではまだジャッキーのアクションスタイルをしっかりと活かせなかった。それが由々しき問題なのです。

 

ジャッキーのスタントは制限され、また編集でジャッキーのアクションは悉く殺されてしまっていた。そもそもの撮影のスタイルが違う。そこはジャッキーも大きく失望したそうですが。

 

香港映画には脚本は無しと言われていて、アクションシーンのクオリティを高めるためならば撮影期間もいくらでも伸ばして納得いくものを作り上げるし、また現場に良さげな橋であるとかビルであるとかがあればとりあえずジャッキーがぶっつけ本番でスタントに挑んでみるなど面白いことは何でもアドリブ的に詰め込んでいくというような自由奔放なスタイルなのです。

 

それに対してハリウッドでは組合もあったりしますしきちんとスケジュール通りにやる。その分アクションシーンに時間は取れない。まあ香港の現場が自由奔放すぎるというのもありますが…その撮影スタイルの違いによりジャッキーの良さが充分に活きなかったのも事実です。

 

またこの当時のハリウッドでは格闘アクション演出が円熟していなかったのもあるでしょう。筋金入りの香港映画ファンからすればこの辺の技量の差には落胆したものです。

 

香港映画から比べたら倍以上の破格の制作費が投入されるハリウッドのアクション大作ですから香港映画より更に物凄いジャッキーのアクション、スタントが観れるのではないかと単純に考えてしまうじゃないですか。まあでも現実はそんなに甘くなかった。ジャッキーのスタントが封印されてしまうとは思いもよらなんだ。

 

 

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そして面白いことに近年はハリウッドでトム・クルーズジャッキー・チェン化してきていますが、『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』でのブルジュ・ハリーファでのトムの超絶スタントを観た時には、ああ…ジャッキーが世界へ羽ばたいた時にまさに観たかったのはこういうアクションスタントだったんだよ!!と思ったものです。

 

 

これだけに限らず今のハリウッドのアクションの驚くべき進化を遂げたのはジャッキーがアジアからハリウッドへの世界への扉を開け、それに続いてアジアの優秀な人材がハリウッドへ参入しアクションのレベルを底上げしていったからでしょう。その辺の話もまたの機会に詳しくしたいですね。

 

 

言うまでもなくジャッキーがハリウッドにもたらした功績はとんでもなくデカいものです。まあでもそれに比してジャッキー自身のハリウッドデビュー作はちょっとパッとしないものだったなというお話でした。よくよく考えたら全然ワンシーン批評に留まってませんねwタイマは短く映画を語れないのでしたw

 

 

 

 

【キミにイカレてメチャメチャめっちゃメカ狂い】『パシフィック・リム: アップライジング』

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パシフィック・リム: アップライジング』観てきました。うーん…前作からのテイストを期待すると肩透かし…魅力が大きく減じてしまったと思わざるを得ない続編。

前作と違うコンセプトで攻める姿勢自体は悪くない。KAIJUよりもイェーガー!カッコいいロボットアクションが撮りたい!前作のスーパーロボット的テイストより今作ではリアルロボット寄りで。観たいと思っていた画も観せてくれるしアクションの分量は前作よりマシマシで大変良いと思います。

 

 

…が、物足りない。観終えたあとの満足感は薄かったんですよね。ネタバレに言及しない形で今作の内容へ言及すると

 

極上の素材、そしてそれを使った献立の組み立ても悪くなかったのに肝心の調理が雑であり、ところどころ塩味が足りなかったり生焼けのものを出された感じ。

 

細かく内容に言及すると文句ばっかしになりそうなので割愛して今作に対する印象を端的に表すと、こう。

 

スティーヴン・S・デナイト監督の前作へ対するリスペクト、日本のポップカルチャーへの愛情などはヒシヒシと伝わってくるんです。

ただオタクとしてのベクトルがデルトロ監督とは違うのかなと。もちろんそれ自体が悪いことではない。

 

オタク的拘りやジャンルへの愛情がどれだけあっても、ただそれだけでは作品は面白くならない。それらを盛り込みつつ作品の面白さへと昇華するまとめ上げる監督としての手腕がなければならないと思う。

 

最後の仕上げに面白くなーる魔法のスパイスを振りかけられるかどうか。前作のデルトロはそれが出来た人だが今作は魔法のスパイスをかけられなかったと思うのだ。それか分からないぐらいほんのちょっとしかかけられなかったというか。

 

しかし作品へ対する熱意は充分伝わってくるだけに嫌いになれない。だから今作を駄作とまではこき下ろす気にはなれない。

今回が長編映画は初監督であるスティーヴン・S・デナイトの手腕の問題か?というと

前半とはキャラクターが変わってしまったかのように後半いきなり活躍しだすある登場人物なんかから察するに全てをコントロールしきれない大人の事情があったのかなぁーとも思うし、監督がダメだとも一概に言い切れないんだよな。

 

やはり続編というのは難しいものですね。前作が熱狂的な支持を集めただけに肯定か否定かのその振り幅が大きい。前作のファンが最大の味方にも敵にもなり得るということだ。